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1939-1959 評論

欺瞞は完璧である。それはあらゆる指導者たちの欺瞞にほかならない。かれらはかれらの部下たちの先頭に立って死地に赴くふりをするが、実はかれら自身がもっと長く生きのこれるように、かれらは部下たちを死地に送っているのである。トリックはいつも同じである。指導者は生きのこることを欲する。かれは生きのこるたびに一段と強くなるからである。もしかれに敵たちがいれば、ますます好都合である。かれはかれらのあとに生きのこる。たとえ敵たちがいなくても、かれには自分の部下たちがいる。いずれにせよ、かれは両方を利用する―順々に、あるいはいっしょに。敵たちをかれは公然と利用することができる。それがかれが敵たちをつくりたがる理由である。かれ自身の部下たちは密かに利用しなければならないのである。

※『群集と権力(上)』 エリアス・カネッティ(1905-1994) 岩田行一訳 法政大学出版局 P355
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1859 小説

興味津々で被告をじろじろ不躾に見る心理は、とうてい人間の品位を高めるものではなかった。判決がさほど厳しくないとなれば、つまり、残酷な条項が一つでも欠けるなら、その分、感興は失せる。生身の人間がこれでもかとばかり情け容赦なく嬲りものにされる光景を思い描いて、野次馬根性の大衆は期待に逸る。死ななくてもいいはずの人間が惨たらしく殺され、切り刻まれる景色が興奮を煽る。野次馬がえげつない関心をどう言い繕い、自己欺瞞のこじつけで飾り立てたところで、その根源は食人鬼の嗜好そのものである。

※『二都物語(上)』 ディケンズ(1812-1870) 池央訳 光文社古典新訳文庫 P104

1957 小説


 ぼくは、来る途中、サウサリートという小さな漁村を抜けてきたので、最初の一言はこうなった。「サウサリートにはイタリア人が多いみたいだね」
 「サウサリートにはイタリア人が多いみたいだねだと!」やつは声をかぎりに叫んだ。
「あああああ!」体を叩きながらベッドを転げまわり、床に落ちそうになる。「パラダイスの言ったこと、聞いたか?サウサリートにはイタリア人が多いみたい?あああああ、はああああ!ほお!!わおー!ひぇー!」ビーツのように真っ赤になって大笑いしていた。「おい、おれを殺す気かよ、パラダイス、おまえって、ほんと、世界一おかしなやつだよ、来たか、とうとう来たか、おい、窓から来たんだぜ、見たかよ、リー・アン、きっちり指示にしたがって、窓から来た。あああ!ほおおお!」

※『オン・ザ・ロード』 J・ケルアック(1922-1969) 青山南訳 河出文庫 P99

1722 小説

死がわれわれすべてを一致融和させることは明らかだということだけである。墓場の向こうでは再び万人はみな同胞となれるというものである。党派や宗派のいかんを問わず、われわれはすべて天国へ行けたらと私は思う。おそらく天国では、偏見も猜疑心もなかろう。そこでは、われわれは一つの主義、一つの主張をもつことであろう。しかるに、その天国に行くのに、つまり、なんらの躊躇なしにわれわれが心から喜んで一体となることのできる天国に行くのに、なぜわれわれは手をつないでゆけないのか、なぜこの世では手をつなげないのか、私にはそれに対して、ただ残念である、という以外に答えることはできない。また、それ以上何もいうつもりはない。

※『ペスト』 ダニエル・デフォー(1660-1731) 平井正穂訳 中公文庫 P285

1909 小説

幼年時代、私は太陽を見た。太陽は私を盲目にし、燦々とした光が私を灼いた。幼年時代、私は愛を知っていた。母の愛撫を知っていた。私は無心に人びとを愛し、生活を嬉嬉として愛していた。しかしいま私は何人をも愛していない。愛したいとも思わないし、愛することもできない。この世界は呪われている。そして私にとってこの世界は一時に空虚なものになってしまった。すべてが虚偽であり、すべてが空虚なのだ。

※『蒼ざめた馬』 ロープシン(1879-1925) 工藤正広訳 晶文選書 P200
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